自分が出来る言葉の扱い方

就活とかその他もろもろから影響を受けて、ちょこっと考えた内容を少しだけ。

言葉を出来るだけの範囲で、
その中に籠められた気持ち、その意味を汲み取りたいなぁとぼんやり思っていたりします。

自分の中で「言葉」が変わった転機は中学のときでした。
2年生の夏休みと3年生に入る前の春休みの計2回、
期間にしてあわせて1年ほど、腎臓の少し重い病気で入院してました。

一回目の入院の間はそんなに感じなかったのですが、
一回目の退院してから初めて登校で掛けられた何気ない

「おはよう」

の挨拶が、とても嬉しかったのが一つの転機。

その病院は両親以外は面会に行けない
(遺伝性の疾患や、免疫力のない子どももいるため)システムだったので、

友達や、好きな人。先生。

いつも会ってた人の挨拶がない時間というのが、
自分の中でものすごく心に穴を開けていたような感覚だったみたいで、
その退院しての初めての登校のときに挨拶をしてもらえたことに、
自然と心の中にしみこんでくる言葉が嬉しかったことがありました。

その日から、挨拶という言葉が自分の中で変わりました。

2回目の転機は、同じく2回目の入院をして、2回目の退院をした数ヵ月後でした。

その時、ちょうど春休みに入院してしまい、クラス替えが行われた学級がどんなものか、
どんな雰囲気なのか、どんな話題がはやっているのか、どんな子がいるのか。

自分は仲間はずれになっていないか。

そんな事をすごく考えて、登校してしました。
そんな時にラジオから聞いたある一言が、自分の心を鋭く揺るがしました。

「自分が『友達』と思っていたら、その子は友達。
 大切なのは、自分がどう思われているかじゃなくて、自分が『相手をどう想っているか』だよ。」

この言葉自体は、全く別の話の流れからラジオでMCさんが話されていたことなんですが、
その時の自分は、この言葉にMCさんの意図からは外れていますが、
その中に籠められた気持ちと、意味を感じ取ったような、叱咤されてるような気がしました。

この日以降から、今まで抱えていた気持ちを押さえて、
相手をどう想っているか。
という事を、心の真上に載せながら、「友達」と接していきました。

幼稚園からの幼馴染もいたんですけど、
「あたりまえやん。」と怒られましたけど。(笑)

そうそう。
今では、付き合いはなくなってしまったですけど、
その時は生駒山頂のイベントとかに一緒に行ってました。(笑)

この二つの転機のおかげで、
今、生きてきた中で、「言葉」という事について真剣に何度も何度も考えてきました。

自分からその時に一番いい言葉を投げかけたり、言ったりする事は、
今でも出来てませんけど。

自分に話しかけてきてくれた人たちの、その言葉と籠められた気持ちと意味とを
逃さないようにしっかり受け止めて「聴く」という事は、自分の中でしっかりと意識してやってます。
全部の気持ちや意味を、受け取ることは出来ないだろうけど、
自分に話しかけてくれたこと、その意味、その気持ちは少なくとも受け取ってるつもりです。

今は、聴くことしか出来ないけど、聴くことで出来ることの意味も、
その2つの転機で分かってるつもりです。

まぁ、そういう事もあって、その頃から、言葉を伝える。発信する。受け止める。
そういう事を仕事にしたいと考えてたりしました。
大学もその信念の元、選んでいきましたです。
ただ、就活してる今では、すぐにはその仕事には就けないと分かっていますが、
「今」じゃなく、「未来」にその仕事に就けているように頑張りたいと思います。

もし、就活で悩んでる伯牙を見かけたら、是非叱咤してください。(笑)
そして、愚痴でも何でも話しかけられる人は、一度話してみてくださいです。
その言葉を、籠められた気持ちを、意味を、一生懸命理解してみせます。(終)
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by heart-of-chord | 2006-05-02 04:10 | 雑記


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